頭は大事

腹部に続いて今回は頭部の話である。体の部位シリーズではない。

自分は小学2年生の時に頭を怪我した。近所で姉の友達と自転車レースをやっており、坂の上から横一直線に並んでヨーイスタートというところでなぜか自分だけバランスを崩して横にあった石垣に頭をぶつけた。

その時痛い!とも思わなかったのだけれど後ろから「うわ、血が出てる」と言われパニックになった。昔から血を見るのが苦手で擦り傷程度でも血を見るとワンワン泣いていた。その時着ていた服はもう着れないほどの血染めになった。

これだけ聞くと結構な大惨事なのだけれど裂傷の範囲が広かったわけではないので、痛くて気を失っているわけでもなく自転車に乗り家まで帰った。家にいた祖母にびっくり仰天されてうつ伏せにされ止血をされた。「お母さんに帰ってきてもらって病院に連れて行ってもらい」と言われてそれまでおとなしくしていた。よりにもよってその日は母の日だったのに、何たる親不幸者…。

母が急いで帰ってきて車に乗せられ近所の整形外科へ連れて行かれた。気が動転しているので何もよく分かっていなかったが、固いベッドにうつ伏せにされてすぐ終わるからね〜と言われ傷を縫われた。3針と軽傷の部類であったが、その後メロンのように頭を包帯グルグル&ネット巻き巻きにされ、初めて見る自分の姿にショックを受けて泣いていたらしい。泣くとこそこちゃうやろ…。

帰る時に母に宥められて「なんか欲しいもん買ったろ、何がいい?」と聞かれ、覚えていないが大変レアなチョコをねだった気がする。「それは無いわ〜」と言われ結局そのまま帰った。

寝る時にとにかくネットが邪魔で仕方なかったのを覚えている。怪我した時は痛くなかったのに3針縫ったと思うと痛い気がしてくるから不思議だった。

中学生の時に従兄から「君は若年性のアルツハイマーではないのかね?」と言われるほど記憶力が悪く、今でも家族に「あの時に頭を怪我したからそれからちゃうか」と言われる。おそらく関係ないが、なんでもネタにしがちな関西人気質の家族なのでもっぱらネタにされている気がする。

ちなみに以前姉が自分の頭部を確認したところ今も傷跡は残っているらしい。たまに頭をボリボリ掻いてしまうと「古傷が開いてしまうのでは?!」と恐ろしくなることがある。その程度で開いたら困る。

なぜか定期的にこの事件について思い出すので頭は大事という話を書いた。この間後頭部を誤って強打する夢を見て、それ以来ずっこけそうになるたびに必死で体勢を保っている。頭はちゃんと守りましょう。

腹痛体験記

ここ最近、不安症状改善のために腸活に励んでいるのだが、まあ毎日食物繊維を多く含んだものを食べれているかというとそうじゃない日もあるわけで、たまにおやこれは…と思う時もある。また良かれと思って入れたものが腸の状態的に逆効果になったりする時もある。

しかし以前、暴飲暴食をしていた頃に経験したような腹痛はここ数年ほとんどない。31年間生きてきて4度ほどあったパンチの強い腹痛の記録を綴っていきたいと思う。

車の中で絶体絶命

いつかは覚えていないが多分小学生の時だ。祖母・父・姉・自分で外出しており、祖母の用事(多分通院とか)を済ませていざ帰ろうとした時、強烈な腹痛に見舞われ「これはやばい!!!」と思った。運転している父に蚊の鳴くような声で「オナカイタイ… イエハヤクカエリタイ…」と呟いたところ、「お腹痛い?そのへんの店のトイレでしてきな」と言われた。「ミセジャムリ… ハヤクカエリタイ」と死にかけの声で伝えたところ、どうやらやばいらしいことが伝わったのか寄り道をせずに家に帰ってくれた。その家に着くまでの数分間の痛みが本当にやばくて冷や汗をダラダラ流していたことを覚えている。猛ダッシュで家のトイレに篭った数分後、みるみる回復し何事もなかったかのように昼食を平らげ呆れられた。原因は不明。

初めての迷走神経反射

これは自分の腹痛史上最も激ヤバな事案であり、姉も母もよく覚えている。

中学生の夏、用事で外出した帰りにコンビニでおにぎりを買って、窓を全開にして夏の風を浴びながら鮭おにぎりを食べていた。この豪快な食べ方がお腹を冷やしたのかそうでないのか、帰ってきてから凄まじい腹痛に襲われ灼熱のトイレに篭ることになった。暑さと痛みのダブルパンチで汗が止まらず意識が朦朧とする中、あまりの痛さに血圧が下がり私はその場で倒れた。そう、かの有名な迷走神経反射だ。

真夏のトイレでぶっ倒れた自分を横の部屋にいた姉と下からやってきた母がベッドの上に移動させ、1時間ほど横になっていた。痛みがしつこく(そりゃ倒れるほどだから)、その後も何度かトイレに行った。この経験がまあまあなトラウマになり、その後の腹痛のたびに「またああなったらどうしよう」と思ってしまうベースになった。

2度目の迷走神経反射

2度目の悲劇を翌年また経験することとなった。食べたものが悪かったのか早朝の4時にアッパーな痛みで目を覚まし、一緒に寝ていた姉が心配してトイレに付き添ってくれた。付き添ってくれたのだがまたも倒れることとなり、母がやってきて大騒動になってしまった。

痛み自体は時間帯も時間帯なので寝ていたら治っていたが、寝不足で体調が悪かったのでその日は学校に休みの電話を入れた。

電車の中での絶体絶命

2016年冬、いつも通り京都に通勤する途中の特急電車で突如として強烈な腹痛に襲われた。この時の原因ははっきり覚えており、なんの気なしに食べた「R-1ヨーグルト」が主因だった。このヨーグルトがどうやら自分の腸にはきつすぎたようで、特急に乗って20分ほど経ったころみるみるお腹の調子が危うくなってきた。

過去3度の経験上「これはまずい」と思い、大惨事にならないうちに特急電車内のトイレを何度かお借りした。が、やはり電車の中のトイレは落ち着かないので亀岡駅で途中下車をすることを決め、寒風吹き荒ぶ亀岡駅のトイレで呻くこととなった。行動が早かったのが功を奏したのか、最悪の事態はなんとか免れた。あの時隣に座っていて、落ち着きのない自分を心配してくれて何度もトイレに行っても嫌な顔ひとつしなかったおばさんに感謝をしたい。

今のところ腹痛史に残る事件はこの4つだけだが、できればこれ以上更新をしたくない。そのためにも食生活には気を配り、腸の治安を守っていきたいところである。ノロウイルスなぞもってのほかなので、生物は極力口にしないように気をつけている。バランスの良い食事が自分のメンタルをも守るので、これからもお腹のことを労っていきたい。

近況

ブログを書く頻度が減ってきた気がする。冬になると元気が減るのがあからさまに出ている…。

元気は元気なのだけどいまひとつな日々が続いている。メンタルは以前に比べると安定してるけどそれでもな〜という感じ。インスタで外出したり元気な人々を見ると落ち込むようになってきた。記録がずっと残らなくて気が楽なので見せる人を限定してストーリーでぼやいたりしているが、ずっと同じようなことしか書かないこの人間の記録を見て楽しいのだろうか、などと思ったりもする。あんまり卑屈になると自分でもうざったいので考えないようにしているが、ネガティブだ。

今日は一日横になって犬をヂューヂュー吸っていた。犬はかわいい。何の根拠もなく自分を信頼して甘えてくれる。今日は犬が自分のお腹の上でスヤスヤ寝ていたのだが、抱き上げて「ちょっとご飯食べてくるからそこで寝といてね」と言うと鼻をペロッ…と舐められた。かわいい。たまに抱き上げるとプ〜とオナラをするところもかわいい。

来週からは天気がさらに安定しないみたいだけどなんとか生きていきたいと思う。生き抜くのだ。

2月

2月が苦手だ。雪が解けてだんだん春への支度を始める空気は好きなのだけれど、春が本格的に始まるまでの気温差にだいたいやられてしまう。寒いならずっと寒いまま、暖かいならずっと暖かいままの方が自分の体には優しい。

2月は自分の人生が変わった月なのでどうしても思い出してしまう。発症するまでのストレスの多い日々、自分に負担をかけ続ける日々。誰にも相談できない不安や焦り、「自分は能力の低い人間だ」「今休んだらダメになってしまう」という思考に囚われて身動きが取れなくなり、気がついたら涙が出ていた日々。中途半端に前を向ける日もあったので精神の異常に気づかなかったのだろうと思う。

発症後の真綿でじわじわと締められるような苦しさ。能力が低い上に病気になってしまったから何も出来なくなってしまうという焦りからは逃れられず、Macに向かおうとしては眩暈と動悸を起こした。車に乗っているだけなのに息ができていないような恐怖感に襲われ、呼吸ができていることを確かめるために必死に自分の服の匂いを嗅いだ。雨の日、山の中を家族の車に乗っているだけで尋常ではない恐怖感に襲われた。リハビリで一人で特急電車に乗った時も、いつか時限爆弾が爆発するのではないかというような不安感に襲われ、それまで普通に電車に乗れていた感覚を思い出せなくなった。

それから、あの2月の冷たい空気が苦手になった。寒いというだけで神経がピリピリするのが脳に伝わってくる。今は、車に乗っても息が詰まった感じもしないし、仕事もできている。それでも、苦手である。

でも、春が来るということは冷たさから解放される合図でもあって。2月を乗り越えられたら、今年も乗り越えた、と毎年思う。梅が咲いているのを見ると、なんだか気持ちが楽になるのだ。

地震が怖い

1月1日に石川県で地震が起こってから、今までにないくらい地震を怖がって日々を過ごしている気がする。

多分リアルタイムでNHK緊急地震速報が出る瞬間を見て、震度5強の後に震度7が立て続けに起こったのが衝撃的だったからだと思うのだけれど、東日本大震災の時は距離が離れすぎていて遠くの出来事として認識していた部分があり、それに比べて石川県は北陸で距離的に近く、母方の三重の実家に帰省する時も直近は北陸道周りで帰っていたので怖いという感覚があるんだと思う。怖いと言ってもうちは微塵も揺れなかったのだが…。

母が1日以来ずっと地震の話をしており、家の下にも活断層があって、もし活断層震源地震が起きた場合震度7を記録するという想定が出ているらしい。ただ確率的には不明の話で、それはなぜかというと過去にこの地域で起きた地震が少なすぎて統計が取れないからという話なのだが、日本全国どこでも物理的に危ない地域であることは確かなので油断はできない。

気にしすぎているせいか、毎日のように大きな地震が起きる夢を見る。自分が31年生きてきて一番大きかった地震はせいぜい震度3、あって4くらいで、7なんて想像のできないレベルである。ただ311の直後、地震活動が誘発されていたのかかなりの頻度でゴーっという地鳴りが聞こえ、その後小さくドンっと縦に揺れる微小な地震を経験した。2年ほど前には亀岡で群発地震があり、ここもしょっちゅう揺れていた。

地下で巨大なスーパーマンのような人がこっそり日本全国の地盤を強くしてくれたりしないだろうか。最近はそんなことを考えてしまっている。