2月が苦手だ。雪が解けてだんだん春への支度を始める空気は好きなのだけれど、春が本格的に始まるまでの気温差にだいたいやられてしまう。寒いならずっと寒いまま、暖かいならずっと暖かいままの方が自分の体には優しい。
2月は自分の人生が変わった月なのでどうしても思い出してしまう。発症するまでのストレスの多い日々、自分に負担をかけ続ける日々。誰にも相談できない不安や焦り、「自分は能力の低い人間だ」「今休んだらダメになってしまう」という思考に囚われて身動きが取れなくなり、気がついたら涙が出ていた日々。中途半端に前を向ける日もあったので精神の異常に気づかなかったのだろうと思う。
発症後の真綿でじわじわと締められるような苦しさ。能力が低い上に病気になってしまったから何も出来なくなってしまうという焦りからは逃れられず、Macに向かおうとしては眩暈と動悸を起こした。車に乗っているだけなのに息ができていないような恐怖感に襲われ、呼吸ができていることを確かめるために必死に自分の服の匂いを嗅いだ。雨の日、山の中を家族の車に乗っているだけで尋常ではない恐怖感に襲われた。リハビリで一人で特急電車に乗った時も、いつか時限爆弾が爆発するのではないかというような不安感に襲われ、それまで普通に電車に乗れていた感覚を思い出せなくなった。
それから、あの2月の冷たい空気が苦手になった。寒いというだけで神経がピリピリするのが脳に伝わってくる。今は、車に乗っても息が詰まった感じもしないし、仕事もできている。それでも、苦手である。
でも、春が来るということは冷たさから解放される合図でもあって。2月を乗り越えられたら、今年も乗り越えた、と毎年思う。梅が咲いているのを見ると、なんだか気持ちが楽になるのだ。