知らない土地を歩く

もう長らく「知らない土地を歩く」ということをしていない気がする。元々不安症で臆病なので、知らない場所を堂々と歩いたり長居するということができないのだけれど、それにしても前より同じ行動範囲にしか行かなくなってしまった。

電車に乗れない今、自分を遠くまで連れて行ってくれるのは家族が休みの日に運転する車だ。パニック発作が不安で運転免許を取ることにもハードルを感じているが、今年はその障壁を自分で打ち破らないといけない気がしている。

自分の住んでいる3万人の地方都市では、都会のように店が密接していないし交通手段も発達しているとは言いがたい。歩くにしてもなかなかハードな土地だ。お腹が空いたときにちょっと食料を調達するということが難しい。市街地をぶらっと歩く分にはそこまで心配はいらないが…。

前置きはさておき、今日は川沿いを歩こうと話していたらたまたま目的地と違う場所に流れ着いた。山陰本線の沿線沿いの広々とした田舎の土地。曇天の中、透けて見える太陽が妙に印象的だった。

こうして自分の知らない田舎を見るたびに、「まだ知らない田舎があったのか」という気持ちになる。掘っても掘っても出てくる新しい田舎。「これは自分の住んでいる場所よりさらに田舎だなあ」というところがゴロゴロ出てくるのだ。恐ろしい土地である。

昼間なのに人っ子一人出てこないと思いきや、飼われている猫ちゃんや老犬がいつの間にか自分を見ている。動物による監視社会だ。自分の飼い犬とはまた違った可愛さがある。
ワンちゃんはおそらく目が見えていないのではないかと思った。横に犬がいるとは知らずかなり大げさに驚いてしまったのだけれど、その時の反応や視点の定まらなさからそんな感じがした。先代の犬も晩年は目があまり見えておらずあちこちにぶつかっていた。

田舎なのに攻めた形の遊具がある公園があった。公園を見ると幼少期の色んな思い出が蘇ってくる。なんだか養老天明反転地チックだ。

静かな土地だが、電車が通るとその音がよく響く。駅自体は通勤で何度も通ったので馴染みはある。車窓から見る景色とはまた違うものだなあと思う。

静かな場所で咲く桜はより綺麗だ。

歩いたことのない場所を歩くと脳が活性化されて新しいものを覚えた気持ちになる。今年はガチガチになってしまった自分の殻を打ち破り、もう少し動いてみたいと思う。