不登校

自分は小学1年生の2学期から中学を卒業するまで不登校だった。これが良くも悪くもその後の人生に大きく影響している。

なぜ学校に行きたくなかったのかは自分でもよく分からないが、小学1年の1学期は普通に通い、2学期に入ってポッキリ折れたかのように行けなくなった。もともと保育園の頃から登園拒否気味であり、それの延長線上だったのかもしれない。

保育園にしろ小学校にしろ、決められた時間、決められた場所で、決められた人数で、決められたルールで一斉に何かをするということが不思議なほどに苦手で、今から何何をしますという説明をちゃんと聞かなければ忘れてしまう、変なことをしたら注目される、というプレッシャーが嫌で、逃げたかったのかもしれない。勉強や、特定の人が嫌だったわけではない。かといって勉強に意欲的だったわけでもなく、あまりにもやる気がないので先生も困っていたと思う。

高校に入ってからは毎日学校に行っていたが、途中からやはり授業に出なくなった。基本は相談室で自習をし、国語などの得意な授業の時は出てみて、テストも受けていた。しかし、高校は小中よりも自由というか、自分以外に休んだり退学したりしている人が結構いたので、誰も気に留めていなかった。留年を気にしている先生からはしょっちゅう叱られたが、このまま高校にいて何か自分の役に立つと思えず、親には悪いと思いつつ2年で中退した。

勉強は高卒認定試験を受ける時にまとめて勉強した。数学以外の教科はほぼ暗記ができれば得点が取れるものだったのでそんなに苦労はしなかった。

後で振り返ると、学校に行っていなくて後悔することは、勉強をしていたとかしていなかったとかではなく、思春期にあって当たり前な青春を過ごしてこなかったことだ。自分だけ卒業アルバムの写真が少ないこと、友達との思い出が少ないこと、体育祭に出ていたとか出ていなかったとか、修学旅行に行ったとか行ってないとか、そういう一つ一つの「やれていなかったこと」が棘のように心に残ったままになっている。アルバムの写真が少ないことは物理的に思い出がない空白の期間であることに繋がる。19歳の時は、改めてそれを感じてずっと泣いていた時期もあった。

学校に行かなくても、友達がいる人はいるし、コミュニケーションを取っている人もいると思う。自分もネットではそうだった。ただ「学校の友達」の特別さは他では得られないもののような気もする。幸いにも、小学校からずっと仲良くしていて今でも話してくれる人が数人いて、その数人の人のおかげで自分の心は救われている。それでも、「なんで普通の人と同じように学校に行って、みんなと同じことをできなかったんだろう」というモヤモヤを抱えたまま、この先を生きていくのだろうと思う。

なぜか夏前になるとこのことをよく考えるようになる。病んでいるわけではない。30代、それぞれがそれぞれの人生を歩み、学校時代の連帯感が薄まっていく年代になって、自分は年々生きやすくなっている気がする。