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kewpie's blog

日常のことが多め。

人が怖くなくなってきた

何度か同じようなことを書いてる気がするけど、自分は集団行動が苦手で、物心ついたころから人の集団を避けて生きてきた。保育園も学校もずっと苦手で好きになることはなかった。誰かに何かをされたとか、誰々が苦手だとか、そういう決まった理由ではなくて、漠然と苦手だった。理由は探っても分からなくて、もうなんかそういう人間なのだろうと受容するようになった。

ここ最近、なんとなく人に慣れてきたなーと思うことが多くなってきた。いまだに人間らしい会話が流暢にできるわけではないものの、人の集団の中に居て苦痛を感じることがあまりなくなってきた。周りの声が聞こえないくらいの大集団の中に居ると別の意味で逃げたくなるけど、一年近くほぼほぼ変わらない環境に居続けたことで普通に慣れたのだと思う。最初は「Mac持った人がいっぱいうろうろしている…」という未知との遭遇も相まって、なぜか変に思いつめてトイレでひっそり泣いたり、不整脈を起こしたりしていたけど、さすがにもう慣れたし、一年経ってそれだともうなんというか病院行けよとしか言いようがない。

保育園はどうだったかあまり覚えてないけど、学校は教室という空間が苦手でずっと避けてきたし、それは高校まで変わらなかった。自分で志願して入学した高校でさえも、初日のオリエンテーションを前に恐怖で号泣しながら廊下を走って逃げ、後ろから先生が追いかけてくるのが見えたのを覚えている。少し慣れてきたころでも、見知らぬ人からメールアドレスを求められてやっぱり逃げていた。学校じゃない環境でも、ひどい時は一対一の関係でも怖くなり、散歩で見知らぬおじさんがこちらに向かってきただけで汗は止まらないし、人を見つけたらすぐ回れ右をしていた。思えば自分の人生は何かを続けたり、ひとつのことに立ち向かうということが全くなくて、逃げて、逃げて逃げまくっての人生だった。

いま思うと、いちいちことあるごとに変に思いつめて居場所を変えようとするほうが自分の精神は消耗するし、安定しなかったんだろうなと思った。かといって決心してそこに居続けるという勇気はなくて、逃げることしか頭にない意志の弱い人間だった。いまが意志の強い人間だというわけではないけれども、この一年でそういう考えは固まってきて、気づくのが遅かったなあと思った。逃げたほうが正しい選択肢なときも場合によってはあるのだけど、自分には正しくなかった。いまは、人や集団を見て怖いと思うことはそんなにないし、一年前と違って人の目を見れる。人の目を見るという行為は一番苦手だった。

こういう話、ネットに書くんじゃなくて人に話していけたらもっと成長するんだろうなあと思う。どうにも自分の感情を打ち明けて、それに共感されるというやりとりに慣れていない。相談事とかは姉くらいにしかしなくて、人とそういう話をしたことはほとんどない。人のそういう話を聞くのは好きといったらおかしいのだけど、ああそういうことを考えている人なんだな、というふうに理解ができる。もしかしたら相手もそんなに重く受け止めていないかもしれないので、そういう話できるようになっていけたらなと思う。

今年はもっと、人間として成熟していきたい。